
縄文時代と聞くと、多くの人は
狩猟や収穫が行われていたことを
想像されると思います。
この時代にまだ科学はなく
全てが手作業で行われていて
日本の文明はここから始まった
教科書にはこのようなイメージで
書かれていることと思います。
今回は、それら全てを覆す
縄文の本当の姿を解説していきます。
愛と調和
縄文の人々は
愛と調和の精神を持っていました。
人との関わりにおいて常に対等であり
与え合うことで文化が成立していました。
釣りをする人、魚を焼く人、
片づける人、
はたまた場を盛り上げる人
これらは仕事ではなく
関わる人への愛として
自然と行われていました。
一見決められた役割のようですが、
日ごとに循環しており、
何もしないということはありません。
自分にできることをできる範囲で振る舞う
これが縄文の生き方であり、
本来の人間のあり方として表現されていました。
必要なものを必要なときに必要な分だけ
では何故、与え合うことで
文明が成立していたのでしょうか。
彼らにはまず
所有の概念、というものが存在しません。
全てが共有、という考え方でした。
地球には全てが備わっており、
いつでも使うことも食べることもできる。
いつでも地球から恵んでもらえるのです。
そのため、保管や備蓄が不要であり
そのような考え方すらも存在していません。
必要なときに、必要なものを、必要な分だけ。
着る物も、食べる物も、住む場所も
いつでも地球から使わせてもらえる
これが縄文の文化です。
自然
住む場所についても
所有するという概念がないため、
家が建てられることはありませんでした。
自然に創られた洞窟や
木の根のくぼみ等を寝床としていました。
前提として
彼らは家を作る知識を持っていました。
それも今よりも格段に優れた技術です。
ですが敢えてしなかったのです。
理由は概念として必要がなかったからですが
彼らは自然をとても大切にしていました。
自然とは共に生きる友であり
共存しているという考えを持っているのです。
超一級技術
縄文土器
土偶をご存じでしょう。
形は不思議な雰囲気を持っていますが
重要なのはその強度です。
作られた時期を遡ると
今から2~3万年前にもなる物です。
それが崩れたり欠けたりすることなく
五体満足の状態で残っています。
この秘密は製造工程に隠されています。
超強度なものを作るためには
超高温で焼く必要があり
それも短時間で行う必要があります。
時間をかければ壊れてしまいますし、
温度が低ければ強度を持たせられません。
実はこの縄文土器は
今の時代の技術を持っても作れないのです。
その理由は、設備がないこともそうですが、
それに相当する技術が
現代には存在しないためです。
縄文とは
知識も技術も考え方も
今より遥か遠く優れていたことが伺えます。
末裔のあなたに
さて、縄文は優れていた忘れられた文明
という印象を持たれたかもしれませんが、
安心してください。
縄文の愛と調和の精神は
子孫である私たちの意識に
しっかりと受け継がれています。
思い出してください。
空気を読む、場の雰囲気を掴む
という能力を。
これはエネルギーを掴むという技術で
彼らが普段の会話で使っていた
テレパシーに相当するものです。
思い出してください。
人の喜びや悲しみに共感できる能力を。
これは他の意識と共振できる技術で
今でも一緒に感動や涙する時に使われる
エンパスと呼ばれるものです。
縄文と私たちはつながっています。
あなたが意識すればきっと
伝えてくれるはずです。
今回は以上です。
縄文の生誕や誕生の背景については
また別の機会に解説したいと思います。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。